福岡高等裁判所 昭和62年(ネ)50号 判決 1988年9月28日
控訴人 河野京子
右訴訟代理人弁護士 芳田勝己
同 村井正昭
被控訴人 宗教法人髙林寺
右代表者代表役員 伊東盛熈
右訴訟代理人弁護士 金子寛道
同 水上正博
主文
一 本件控訴を棄却する。
二 控訴費用は控訴人の負担とする
事実
一 控訴代理人は、「原判決を取消す。被控訴人は控訴人に対し金二、〇〇〇万円及びこれに対する昭和六〇年一〇月四日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は、主文同旨の判決を求めた。
二 当事者双方の主張及び証拠の関係は、次に付加するほかは(但し、原判決二枚目裏六行目に「民事法定利率」とあるを「民法所定の」と改める。)、原判決事実摘示のとおりであるから、ここにこれを引用する。
1 控訴人の付加陳述
(一) 本件規程三条が定められた趣旨は、寺族特に住職婦人は住職を補佐し寺院の運営維持のため多大な犠牲と貢献を払っているにも拘らず、寺院が宗教法人であるということから、夫である住職が死亡した場合、生活を維持する財産が保障されずに終るという事態を防止し、寺族の生活を保障することにある。この寺族の保護は、個人的財産の所有が原則的に否定される宗教団体の性質上、その代償として保証されているものである。
(二) そして同条二項には、住職死亡のときの寺族の保護の方法につき、「当該寺院の責任役員及び干与者の協議により、寺族の資産、在住期間その他の事情を考慮して定める。」と規定され、本件では右の協議はなされてなく、控訴人において曹洞宗宗務庁に対し、寺族の保護について照会したところ、宗議会議員伊東盛熈及び宗務所長福田光太に処理を委ねている旨の回答がなされたので、控訴人は右福田との協議を試みたが、同人はこれに応じようとしなかった。
(三) 尤も、曹洞宗内部において、紛議の調整を行う機関として、審事院が設けられているが、現在の曹洞宗においてこの審事院は全く機能していないのである。機能していない機関に対する手続を要求するのは不当である。
(四) 本件のように「協議」が成立しない場合には、保護義務の方法、内容については裁判所で判断、決定しうる事項であり(その具体的内容は、寺院の経済基盤、寺族の年令、寺院に対する貢献の度合、社会一般の生活水準等を総合して検討すれば、合理的な算出が可能である。)、もし寺族が司法上の救済が得られないというのであれば、前記の寺族保護の規定の趣旨は完全に没却されてしまうことになる。
(五) 被控訴人は宗教団体の自治権を主張するが、裁判所が右の判断を下すことは、宗教法人の「自治」を侵すことにはならない。なぜならば、本件紛争はあくまで経済的な紛争であり、宗教法人の特殊性、信教の自由等とは無関係に決しうるものであるからである。
2 被控訴人の付加陳述
(一) 本件規定は包括宗教法人である「曹洞宗」が同宗派に属する寺院とその内部関係者たる寺族との関係を律するための規範として定めたものである。
宗教法人は、憲法二〇条及び宗教法人法によって高度の自由が保障さている。曹洞宗もその所属する構成員の寺院らの宗教的自治団体であるから、その内部的秩序・運営等のための自律的規範の自由も高く保障されている。
曹洞宗には、その根本規範としての「宗憲」が定められ、この下に「規則」があり、その「規則」を施行するための細則として「規程」が定められている。これらを総称して「宗制」というが、この宗制は曹洞宗の内部構成員の組織、維持、運営等を自らの宗教団体内部で律しようとする自治的規範であり、本件規定も右宗制に属する一規程である。
(二) 本件規程に関する寺院と寺族との間の紛争については、本件規定が曹洞宗の自治規範である以上当然のこととして右宗制内での自治的紛議の調整による解決がなされることとなる。
そこで宗憲四一条は、宗内の紛議の調整機関として「審事院」を設けており、「審事院規程」一一〇条は「宗門内の係争又は寺院の紛議については、当事者は、審判部に審判を求めることができる。」と規定し、宗制内において宗門内の紛争を自治的に解決するための十分な手続的保障が制度的に完備されている。
(三) 本件規程に基づく保護義務の要否、その内容、程度等は本来的に右宗制の規範内での手続によって判断、決定、処理されるべきものである。
宗教法人という特別に高度な自治権が保障されている団体内部の紛争はその自治権内で解決されるべきものであって、裁判所が右自治の範囲内の事項について、一方から申立があれば何時でも自由に司法審査の対象とすることができるというのでは右自治は失われてしまう。裁判所はこの宗教的自治内には、特別の例外的場合を除いて関与できないのである。
(四) 本件規定についてこれをみても、三条二項には、寺族の保護の方法は、当該寺院の責任役員、干与者の協議により、寺族の資産、在任期間その他の事情を考慮して定めるとしかない。
右の意味は、第一には、保護請求の手続を明確に限定して定めていることにあり、第二には、仮に保護の必要性があっても、その保護請求権の具体的給付内容は右協議の結果によって定まり、これにより寺族の当該寺院に対する保護請求権は初めて具体的権利となることである。この具体的権利となってこそ初めて裁判所に給付訴訟を提起できるのである。
右協議も存在しない本件においては控訴人の保護請求権は全く抽象的なものにすぎないものであり、これに対して裁判所が積極的に介入して具体的権利を判断、形成することはまさに宗教的自治に対する侵害であって絶対に許されない。
3 《証拠関係省略》
理由
一 請求原因1項の事実は控訴人が本件規程一条にいう寺族(以下、単に「寺族」という)に当該するか否かの点を除き、当事者間に争いがなく、右争いのない事実に《証拠省略》によって認められる本件規程一条一項に「住職の配偶者又は近親者で現にその寺院に在住するものを「寺族」という。」と規定されている事実及び《証拠省略》を併せ考えると、控訴人は被控訴寺院の住職であった亡河野武史の妻として、本件規程三条一項にいう「寺族」であったものと認められ、これに反する証拠はない。
二 《証拠省略》を総合すると次の事実が認められる。
1 被控訴寺院の属する包括宗教団体である曹洞宗は、同宗に属する僧侶及び檀信徒がその宗教上の道念と信仰によって遵守し運営しなければならない宗制(宗教団体内部の自治的諸規範として制定したもの)として、曹洞宗宗憲、曹洞宗規則及び曹洞宗規程(以下、順次単に「宗憲」、「規則」、「規程」という)の三種があり、このうち宗憲が基本規範となりその下に規則が定められこの規則を施行するために必要な細則を諸規程で定めている。
2 本件規程は、この諸規程の一つとして寺族について定めたものであり、その三条一項は、「住職が死亡したときは、当該寺院は、その寺族を保護する義務を負うものとする。」と規定して住職の生前「住職を補佐し、寺門の興隆、住職の後継者の育成及び檀信徒の教化につとめなければならない」(一条二項)使命を負っていた寺族に対し、当該寺院がこれを保護する義務のあることを宣言したものであり、三条二項はこれをうけて「前項の保護の方法は、当該寺院の責任役員及び干与者の協議により、寺族の資産、在住期間その他の事情を考慮して定める。」と規定して(この点は当事者間に争いがない)寺族に対する保護の方法の具体的内容の決定手続を定めている。
3 右の寺族の保護について紛議が生じたときは宗制の一つである宗務所規程により各県に数個づつある管轄宗務所が調停、和解を行なう(同規程一四条五項)こととなっており、右調停、和解が成立しないときは、当事者又は利害関係人の申立により、次のとおりの宗制により、曹洞宗内の一種の宗教裁判機関(同宗内の用語では「監正機関」という)である審事院で紛議の調整として調停、和解、審判が行なわれる。すなわち、宗憲四一条には「宗制の厳正を保ち、宗内の秩序を維持するために、宗制の解釈、宗内の懲戒の審判及び紛議の調整を行なう機関を審事院とする。」と規定し、これをうけて規則第五章に三八条から四三条までの審事院の組織分掌等の諸規定があり、その施行細則として一四四条に及ぶ曹洞宗審事院規程があって審判手続等を定めている。
4 寺族の保護をめぐる紛議について、包括団体に所属する宗務所や審事院の調停等の手続を経るにせよ、経ないにせよ、いずれにしても寺族の保護は、あくまでも寺族と当該寺院との間の関係であって、双方の間に協議が成立しなければ寺族の保護の具体的方法、内容は定まらない。
5 控訴人と被控訴寺院との間の控訴人の寺族としての本件扶養料をめぐる紛争については、当事者間で解決をみず、昭和五八年頃から管轄の曹洞宗長崎第一宗務所の所長福田光太が、控訴人の実兄で亡河野武史の後任として被控訴寺院の兼務住職であった片山秀賢と被控訴寺院との間の別個の紛争と併せて解決を計るべく調停活動を行っていたが、結局被控訴寺院に資金がなく、その捻出のため、右片山の後任住職として昭和六〇年一月一八日就任した田中泰祐から五〇〇万円を支払わせることとして最終調停案を出したが、片山や控訴人から拒絶され、調停は不調に終った。その後、控訴人、被控訴寺院或いは利害関係人のいずれからも審事院に対し調停等の申立もなされず、現在においても協議は成立していない(協議の不成立については当事者間に争いがない。)。
以上の事実が認められる(《証拠判断省略》)。
三 控訴人は、本件のように協議が成立しない場合には、寺族に対する当該寺院の保護義務の具体的内容は、裁判所で判断、決定しうる事項であり、控訴人は司法上の救済をうけられる旨主張し、本件規程三条一項に基づき被控訴寺院に対し寺族である控訴人の扶養料として二、〇〇〇万円の支払を訴求している。
しかしながら、前記認定の宗憲、規則、規程等の規定からすると、本件規程三条の規定それ自体も曹洞宗という宗教団体内部の宗教的自治規範の一つであって、同条一項により当該寺院が寺族に対して負う保護義務は、同宗に属する僧侶及び檀信徒がその道念と信仰によって遵守すべき道義上、信仰上の抽象的義務(宗憲七条三項)であり、これが協議の成立によって具体化され、それが、私法上の契約の成立と有効要件とを具備している限度において、初めて寺族は当該寺院に対しその私法上の義務の履行を求めて裁判所に給付訴訟を提起できるものである。右のような性質をもつ本件規程三条一項を根拠として、協議も整わないまま直ちに被控訴寺院に対し扶養の支払を訴求し、裁判所に協議に代る私法上の権利義務関係の形成と給付命令の発布という非訟的判断作用を要求することは、(宗教団体内部の宗教的自治規範に基づき当事者が決定すべき事項について裁判所が介入して広い意味における曹洞宗内部の宗教的自治を侵害することを求めることとなり不当であることは当然のことである。)そもそも法律の特別の規定がない限り到底できないものである。
四 そうすると、控訴人の本訴請求は、その主張自体失当であるというほかなく、これと同趣旨の原判決は相当であって、本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、控訴費用の負担につき民訴法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 高石博良 裁判官 森林稔 川本隆)